家族歴と子の成長は日々の積み重ね
2012年生まれの男の子です。
軽度知的障害と自閉症スペクトラムがあります。年少さんの学年ですが、幼稚園ではなく療育センターに身辺自立と社会性の訓練に通っています。
彼と初めて会ったのは、一歳になる直前でした。
その時の第一印象は
「目がクリックリだークリクリの可愛い目だけど視線が合いづらいな?」
「私を通り越してその先を見ている?」
「もしかしたら発達障がいあるかも?」
と思いました。
面会後にもう一度「この交流を続けますか?」と聞かれますが迷いはありませんでした。
自分たちが産んでも障害の無い子が産まれる確率はゼロではないですし、事故や病気で障害が残る場合もあります。
外国籍なので色々と手続きが複雑というのもあって、今更「それが何か?」といった気持ちでした。
言葉も遅めではありましたが、一語が出始めたなと思った矢先に発達が後退しました。
一緒に暮らし始めて落ち着いた頃に症状が出始めたのです。
交流中も抱きづらさを感じていて、私の中で発達障がいがほぼ確信に変わっていたにも関わらず、
「中途養育だから?」
「我が家に来たのが原因?」
「愛着形成が上手く行かないのはどうしてだろう?」
「このまま親と認めてくれないのだろうか?」
「どうしたら認めてもらえるんだろう?」
と不安と焦りに駆られる日々でした。
障がい云々よりも、中途養育が原因なの?という思考に囚われていました。
折れ線型自閉症(二歳位までは普通に発達するものの、突然発達が後退する)でした。
医師から診断を受けて「養育環境の変化が原因ではありませんよ」とハッキリ言われて気持ちが軽くなりました。
今でも濃い育児生活の日々ですが、自閉症の症状が顕著に出て不安になった頃から診断がおりるまでが人生の中で一番髪の毛振り乱して必死だったかもしれません。
一緒に暮らし始めて一年半位経った頃は、名前を呼んでも振り向きませんし、手を放せば走り去ってしまう状態でした。
今でも常に手首を掴んでという状態は変わりませんが、私が逃げると追いかけてきてくれるようにはなりました(笑)。
気持ちが落ち着かない時、緊張した時、楽しすぎて高ぶった気持ちを静めようとしている時、そして眠い時には決まって私の肘をいじります。
こだわりの一つでもあるのですが、この動作は言葉が出ない彼のバロメーターであり、私たちの会話でした。
今では、再び言葉も増えてきて気分がいい時は三語文が出てくるまでになりました。
電車や車が大好きで、数字もひらがなもアルファベットも大好き。ブルーライン、グリーンラインの駅名と駅番号も頭に入っています。車内アナウンスの英語版も流暢に再現します。
ですが、言葉での理解が苦手、人混みが苦手、初めての場所が苦手、見通しがつかないと不安になる等、日常生活していくには困難をたくさん抱えています。
「旅の栞も無い状態で言葉が全く通じず、自分の生活スタイル、文化が違うアラブ圏にいるような日々」と表現すれば彼の毎日が何となく想像がつくでしょうか?
今は小学校に行く時の為に、彼なりに一般社会でも少しでも苦痛を少なく、上手く過ごしていけるように訓練している最中です。
「こういう子もいるよ」と知ってもらえたら嬉しいです。
(H.N)